高麗人参の歴史

高麗人参は中国や朝鮮半島では2000年も前から人々の生活に親しまれ、重宝されてきた薬草です。
文献に初めて登場するのは紀元前40年頃、中国前漢時代の著「急就章」に、人参の「参」の文字が記されており、西暦200年頃の「傷寒論」の中では、人参配合の処方が21にわたって記されています。
5世紀末には中国最古の薬物書「神農本草経」の中で、人参の薬効が「五臓を養い、精神を安んじ、魂魄を定め、動悸を止め、邪気を除き、目を明らかにし、心を開き、智を益す」と記され、最上の薬として記録されています。

日本では、「続日本紀」の中の人参の記載が初出とされています。
739年、今の中国北東部にあたる渤海の国から、聖武天皇への贈答品として届けられました。当時は皇族や貴族だけが手にできる貴重な渡来品でした。

その後、日本で栽培が始まるのは江戸時代。
高麗人参を愛飲していた徳川家康は、会津藩主が朝鮮遠征から持ち帰った種で、日光で極秘に栽培を始めます。
後に八代将軍徳川吉宗が、栽培に成功し、その栽培方法を各地の大名に伝えました。吉宗が栽培を奨励したことで、高麗人参は日本各地へ広がっていきました。

江戸中期の頃、中国韓国では、それまで身分の高貴な者にしか使用が許されていなかった人参が、庶民の間に広まり、特に保温薬として重宝されました。
それが伝わり、日本でも、一般人には手が届かないほど高価ではありますが、医療の発達によって、実用的な医薬として使用されるようになり、段々と庶民化していったと考えられています。